子供の打たれ弱さ自分を見ているようだ
ここ何年か急にhspの存在が目立つようになり、書店にも繊細さん、hsp、自己肯定感などを題材にする書籍が増えて来ている気がする。
わたしも大人になるまで分からなかった生きづらさを正当化してくれたのがhspというハイセンシティブパーソンという存在なのかもしれない。
わたしがまだ小学生あの頃、友達も上手く作れない、人前で上手く話す事が出来ないなどやはりその頃からhspの気質があったからだと思う。
わたしが小学生🎒のころはhspなんて言葉もなく内気だとか内向的な性格と先生や通知表にかかれ、友だちがたくさんいて人気者な友達とは別次元にいる気がしていた。
あれから20年ちかく年を重ねた今、大人になり今だに自分は人前で話す事が苦手で、マルチタスクが苦手、疲れやすいし、一人が好き。
あの頃と何も変わらない自分がいる。
変わったことと言えば、母になったそれだけだ
。
高校を卒業し、専門学校をでて社会人を5年。
結婚し三人の息子を産んだ。
そして、今思うこと
もしかしてこの子は自分と似ているかも。と感じる瞬間がある。
子供の頃に自分が感じていた生きづらさや人と違う感覚、直感力、
似ている気がするというもの。
hspは5人に一人の確率でいると言われているので、遺伝というのは違うかもしれないが、兄弟のなかにはやはり一人くらい繊細な子がいるのかもしれない。
我が家も兄弟のなかで次男がそんな気質をもっている。
それは、
大事なもの事の順番がわからない
物をすぐ無くす
探し物が多い
落ち込みやすい
人前で話が出来ない
人見知りが激しい
先生の機嫌を気にする
家が好き(出かけてもすぐにかえりたがる)
人を信じやすい
ぬいぐるみを可愛いがる
いつも同じアイスや食べ物を買う
石橋を叩いて渡る
母親の機嫌をいつも気にする
自分も子供の頃に同じ経験をしている。
自分のこどもがhspの気質を持っていようがいないとしても、これから彼の生活になんらかの支障がでない限り、グレイな感じで過ごして行くのだと思う。
個性と言えば個性、悩みと言えば悩み、hspと言えばhsp、なんとも曖昧。
言い訳にもなるし、ならない言い訳である。
人に言っても解っては貰えないけれど、自分自身はhspだからしょうがないと言い訳が出来る。それで十分な気がするのだ。
次男も一生懸命生きているし、学校生活も好きだ。
ただ、友だちと遊んだとかではなく、自分が今日も頑張っていたか、楽しかったか、いい1日を過ごしたかを基準にしている気がする。
自分の幼い頃とにている分、見ていて感情移入してしまうし、生きづらさがわかってしまう。
じぶんと重ねて生きづらさが伝わってしまうからこそ、自分も辛くなる。
感情豊かな親子の悩みなのかもしれない。